ちゃちのぶろぐ

はじめまして!何事も悩んで終わるくらいに悩む女です

たまにはちがうお話をって学校の先生が授業と違う話してくれるのすこ

こんにちは、ちゃちです。

今日は雪が降る予報でしたが、降ってないですね!

 

 

私は昔から雪が大好きで、降っていると

テンションが上がるタイプの人間なので

残念です…

 

 

あ、でもお散歩ができなくなるから

まあ降ってなくていいかっ(どうでもいい)

 

では、本日もよろしくお願いします。

 

劣等感とわたしと彼とそのほかもろもろ

 

 

いきなりどんな話かとお思いでしょうか

それともお思いではないでしょうか。

 

たまに頭がおかしくなると言われますが今日が

その日のようです。

 

 

劣等感の塊だった私は

過去いろいろな人とお付き合いもしてきたわけですが

神経症的傾向な私は恋愛もうまくできず

お相手にご迷惑ばかりをかけてきました。

 

 

まあいまもそんなに変わっていない気がしますが

昔よりはマシかなあ…(だといいなぁ?)

 

その人が本当に自分をすきなのか

疑わしく試すようなことを言ったり

困らせるような発言をしたりさせたり(?)

 

 

まあなんていうかいわゆるメンへraというか

プチがつく程度かもしれませんが…

 でも不安になってばかりでした。

 

 

誰かに認めてもらうことで

自分の価値をかんじる。

 私の価値は人が決める。

 

 

そんなことを考えていたので誰かに尽くされないと本当に愛されていない

なんて気持ち悪い思考でした。

 

 

失恋すれば自分を否定されたと悲劇のヒロイン。

 

うわ、面倒くさくて気持ちがわるいですね。

 

 

ですがある元カレさんとの別れのおかげで私は少し

考えがかわることとなりました。

 

人に認められるには自分がまず変わる必要がある

 

 

その元カレさんと付き合っている時は気がつかなかったこと

別れてはじめて気がついたこと

 

 

”彼は相当な無理をして尽くしてくれていた”

 

 

 

 彼はお姫様扱いでYESマンでした。

 

きっと私と別れることが怖くてそうしてくれていたのと、

それが普通なんだと少し冷静さにかけていた盲目状態だったとおもいます。

 

 

でも別れてみて改めて思い出してみるとかなりしんどかったのだろうなと。

仮にいま復縁の文字をちらつかせても確実に私の元へは帰ってこない

そう確信がもてました。

 

 

付き合っている時はすきだからそうしてくれていたんだろう

と思っているところもありましたが

本当に好き同士とはどんなものかと考えれば、

 

 

“互いに個々を大切にし、その上で困ったことがあれば協力する愛”

 

は、私にはありませんでした。

 

いろいろ思うところがあります。

まず、自分が自分を受け入れて相手に期待をしない

お互いにフェアな関係を築けていない状態からの恋愛はいつか破綻する。

 

 

そう思わせられる恋愛をしたことで

今の自分にはそんなコンディションではなことに気がつきました。

 

 

それは恋愛だけでなく、人間関係でもそうだと最近思います。

 

 

仕事においても人間関係においても

まず自分を受け入れるその基盤がないと

やはり精神的に追い詰められることが

多かったのです。

 

 

しかしながら、そんな簡単に

うけいれられるわけもなく。

 

なので、自分を受け入れるといことにも無理をしない。

そんなもんだ〜くらいの心持ちでいないと

心が疲れてしまうのではないかと思います。

 

そういう意味では、

 

“自分なんか価値がない。相手が尽くしてくれている=愛”

 

 

”自分はこういうところがある。愛されたければ自分から愛してみる”

 

という思考にかえてみようかなぁという変化をもたらす意識をしました。

 

 

そうしてみると、意外と付き合いたいと思えるような人がいなかったのです。

(相手からしても願い下げですよね。自分を棚に一旦あげさせてください。)

 

 

私はこの歳になってようやく人を愛する本当の意味と、

それがまず自分を愛することから始まる。

ということに気がつきました。